絶叫マシンと平和の関係
私は遊園地の絶叫マシンが苦手です。
好きで何百回も乗りに行く人って、すごいなあと思います。
私が苦手だからそう思うのかもしれませんが、わざわざ恐怖やスリルを味わいに行くのは、毎日の生活が平和だからこそできることではないか・・と。
もし、内戦が続いて死と隣り合わせのような日常だったら・・・
大きな天災に遭って、なんとか生き延びた直後だったら・・・
想像もつきませんが、それ以上の刺激は要らないような気がします。
中には、平和とは言っても、つらい現実に向き合って生きていて、たまに気持ちを解放するために絶叫しに行くという人もいるのかな。
ある意味で、絶叫マシンは平和の象徴、またある意味では、現代的な生きにくさの象徴なのかもしれません。
- あえて・・・する
- 信仰の継承というよりは・・・