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A Ray of Hope

神のあわれみと忍耐

低次元ですが、前から感じていた疑問がありました。
聖書の神さまは、この世界においては、水戸黄門のように単純明快な勧善懲悪をなさらないように見えます。
「あなたがたは、世にあっては患難があります」(ヨハネ16:33)とイエスさまが言われたとおりに、信仰を持つことによって、命さえ失うということがあります。
そのことは、私たちのいのちはこの世で終わりではない、ということを信じれば、受け入れることができます。
しかし、キリストを救い主と信じ、クリスチャンとして生きながら、初めの信仰がだんだんずれて(?)、まるで信仰を利得の手段としているのではないかと思われるようになってしまったり、同じクリスチャンを虐げたりするようなこともあり得ます。
そういったことはどのようにして帳尻を合わされるのだろう、となかなか納得できませんでした。

カルヴァンの『キリスト教綱要』を読みながら、ふと思いました。
神さまが、今は不正をそのままにしておられるように見えるのは、さばきを猶予されているということに他ならない。
それは、神さまのあわれみです。
もし、その神さまのあわれみと忍耐がなかったら、いくらクリスチャンと言っても、まず私をほうってはおかれないのではないか、そう思いました。
他人の悪いところはめざとく見つけるけれど、自分の悪いところには気がつかないものです。
人に苦しめられているような気がするときは、自分自身を見つめ直すときなのですね。


A Ray of Hope
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