生き方を見直す
下重暁子さんの『孤独の作法』を読みました。
全てとは言いませんが、共感するところ、教えられたことがたくさんありました。
下重さんは、孤独の大切さを書いています。
考えてみれば、私も子どもの頃から、ひとりでいるのが好きで、女の子同士で群れるのは嫌いでした。
ひとりでいても、寂しいとか退屈だとか思ったことはありません。
それが、結婚して家庭を持ち、子どもを育てる中で、家族という人間関係の中で、孤独や寂しさを感じるようになりました。
最も身近なはずの存在なのに、理解し合えない、信じ合えない、心が通じない悲しみ、ストレスで、鬱状態。
でも、やっと、その「孤独」をプラスに考えればいいのではないか、と少しだけ思えるようになってきました。
結局、自分の人生なんだから。
この本には、そうだ、そうだと頷くことが多くあります。
たとえば、配偶者についての呼び方。
下重さんは、「つれあい」を使われるそうですが、私は「夫」と言います。
人に話すときに「私の主人は・・・」などとは決して言いません。
人から「ご主人は・・・」と言われると、つい心の中で「ご主人って誰?」とつぶやいてしまいます。
まして夫婦で互いに「パパ」「ママ」などと呼び合うこともありません。
ちゃんと名前がありますから。
子育てをしていると、幼稚園などでは「**ちゃんのお母さん」と呼ばれ、学校のPTAでは自己紹介のときには必ず「**の母です」と言うことになっています。
これもいつも抵抗がありました。
「私は**です。娘は**です。」これでいいのでは?と思ったものです。
クリスチャンとして教会生活をする上でも注意すべきことがあると感じました。
交わりは大切ですが、甘え合い、もたれ合いになってはいけません。
孤独の中で自分を育てることは、自分の信仰を育てることに不可欠なんだと思います。
信仰生活において「孤独である」のは、神さまと一対一で向き合うときです。
もう一度、人生を見直して、歩き出そう。
- 忘れていた夢
- お別れのとき