言葉なるもの
古文愛好女子である娘にリクエストされて、橋本治訳の枕草子を買いました。
「原文に忠実な直訳」とのこと。
イラストや説明もあって、当時の状況がわかるのはよい。
でも、この桃尻語なる言語は、2010年の今、かえってわかりにくい気がしました。
自分が使う種類の言語コードではないし、このような「ナウでヤングな」言葉遣いをしているキャリアウーマンはまず見かけません。
1987年に初版が刊行されたということですので、当時はもっと現代的だったのかもしれません。
ほんとうに言葉とは生きているものだと思いました。
私なら、どちらかと言えば、関西弁で聞いたら雰囲気が出るかな。
「春ゆうたら曙や。だんだん白うなってく山の上がちょっと明るうなって紫っぽい雲が細うたなびいてる感じ。」
翻訳は難しいですね。
他の言語はよくわかりませんが、日本語だと、どのような言葉遣いをするかで、性別や年齢や出身地や職業まで決まってしまうようなところがあります。
聖書でよく引き合いに出されるのが、山上の説教、八福の教え。
たとえばマタイ5:3
原文は、「マカリオイ!」で始まり、ニュアンスとしては、「幸せだなあ!」という感じだそうです。
新改訳第二版では、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
第三版になると、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
少し変わります。
文語訳だと、「さいはひなるかな。心の貧しき者。」
これは感じが出ています。
英語の聖書では、NIVの場合 “Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.”
いいですね。
ユージーン・ピーターソン訳のThe Messageの場合 ”You’re blessed when you’re at the end of your rope. With less of you there is more of God and his rule.”
フランス語でも「幸いなるかな」が先でした。
“Heureux ceux qui se savent qauvres en eux-memes, ・・・”
イエスさまが現代の日本人だったら、どのように話されるのでしょうか。
これは、私たちがイエスさまをどのように感じているか、知っているか、ということなのでしょう。
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