責任を持つこと
Ⅱ列王6章後半
窮地に立たされ、なすすべがないとき、祈るしかない、と頭ではわかっていても、怒り、絶望に支配されてしまうこともあります。
王が預言者エリシャと神に怒りを向ける一方、エリシャは祈り続けることができました。
確信があるから祈れるのか・・・。
祈りと確信は、互いに強め合うものだと思います。
祈る、確信が与えられる、さらに祈る・・・このよい循環を作っていくのは自分の責任と考えなくてはいけないと気がつきました。
結局、人が悪い、神が悪い、と他者の責任にしてしまっていては、泥沼から抜けることができません。
自分の人生に自分が責任を持つこと。
信仰は自立した人のものなのです。
- 昔の「若手」も
- 待ち望め、主を