待ち望め、主を
「主は、私の光、私の救い」と始まる詩篇27篇は、 「確信に満ちた祈り」と注解に書かれていました。
ダビデが窮状から神さまに救いを願い求めているようですが、ここで「確信に満ちて」祈れるというのが信仰者なのだなあと思います。
ダビデは、これまでに神さまがどのようにして自分を助けてくださったかと思い起こします。
神さまがどのような方であるかを確認します。
自分は何のために、どのような動機で助けを求めているのかを吟味します。
ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら──
待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
13-14節
私たちのいのちはこの地上で終わるものではないことを知ってはいても、地上に生きている間に神さまが介入してくださることを体験し、確信することができなかったら、つらいでしょう。
あきらめや不信に浸るのをやめて、心を強くし、待ち望もう。
- 責任を持つこと
- 身を低くする