目覚めるとき
「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」
詩篇17:15
17篇は「ダビデの祈り」と標題がついていて、自分にはやましいところはありません、と神様に訴える祈りです。
私の場合は、やましいところだらけですが、この節の後半が気になりました。
「目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう」
目覚めるとき、とはいつか。
今まで、この地上の人生が終わり、復活のとき、と捉えていたように思います。
そうすると、地上に生きている間は、神の御姿に満ち足りることはないのか・・・。
他の訳を見て、興味が深まりました。
「目覚めるとき」としか書いていないものが多いのですが、天において、ということを中心に考えているものと、地上において、ということを中心に考えているものがあるようです。
リビングバイブル
天で私が目覚めるとき、この上ない満足感にひたるでしょう。神様の御顔をじかに見るからです。
The Message
When I get up, I ‘ll see your full stature and live heaven on earth.
現代訳
しかし私はそのようなことには関心は無く、あなたとの正しい関係こそが第一で、あなたを仰ぎ見ることで心は満足します。
意訳をしているものはどちらかによった感じがありますが、両方大切なのかなあと思います。
「目覚める」も、訳によってget up とawake がありましたが、これも両方あったらいい。
地上での人生はあきらめて、復活にのみ希望をかける、というのではなくて、毎朝、目覚めるとき、起きて活動を始めるとき、神様に心を向け、御姿を仰いでいきたいものです。
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