成長すること
「霊的成長」というと、「霊的」ということばを聞き慣れない人には疑問に思われるかもしれません。あるいは、誤解されるかもしれません。
「スピリチュアル」ということばも、近頃、日本では何か違う意味を持って来たようだし・・・。
「人格的成長」というのが近いかもしれませんね。
今日は、教会の礼拝説教で、霊的に(人格的に)成長することについて書かれた聖書箇所を解説されました。
最近、キリスト教の世界でも「いやし」ブームであり、がんばらなくていい、ありのままでいい、そのままのあなたを神様は愛されている、というメッセージをよく耳にします。
そのとおりだと思います。
でも、いつもそれだけでは、明日を生きる力が湧いてこない気がするのです。
いのちがあるということは、成長し、成熟に向かうのが自然だからです。
心の傷を、疲れをいやされたら、次は、共に成長していこう、と手を引いてくれる仲間がいることがうれしい。
人と競争して、比較の中に生きるがんばりではなくて、いのちあるものの自然な姿として、成長に向かって努力することが人を生かすのだと思います。
こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。
Ⅱペテロ1:5-8
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