宗教と争い
先週の朝日新聞に、インドの宗教事情について書かれた記事がありました。
ヒンドゥーから、仏教への集団改宗が進んでいるのだとか。
理由は、社会で差別を受けている最下層の人々が、「ヒンドゥーでいても何もよいことはなかった」と、仏教に帰依するようになっているといいます。
また、隠れキリシタンも、統計上の数字より、実際は多いのではないかと推測されています。
インドでは、キリスト教は社会上、デメリットが大きく、信仰を公にしない人がいるらしい。
昨年も、メリッサなどで大規模な迫害が起きました。
日本とはまったく事情が違いますが、日本でも、クリスチャンであることを公表しにくい風土はあります。
「インドに生まれた者は皆ヒンドゥーだ」というのに似て、日本に生まれた者が、西洋(ほんとうは違うのですが)の宗教をやるなんて、という非難を受ける人もいるでしょう。
「日本人であること」は、すなわち「ヤオロズの神を信仰し、神様も仏様も拝むこと」
一般に、それがよいこと、正しいこととされているようです。
日本の社会では、周囲と強調していくことが重んじられるからです。
だから、現代の日本にもかなり隠れキリシタンがいるようです。
宗教の違いが不和や争いのもとになるという、厳しい現実。
でも人類はそれを乗り越えて行かなくてはいけないのですね。
- 聖書を聴く
- ペットを飼うことと、人間のエゴ