わざわいだ
ルカ11:38
パリサイ人の家に食事に招かれたイエス・キリストは、当時の「きまり」であったきよめの洗いをせずに食卓に着かれました。
それを見たパリサイ人は驚くのです。
「なんとひどいことだ・・・」と心の中で思いながら。
キリスト教会の歴史にもこのようなことはあったでしょう。
今だって、形を変え、同じようなことが起こりがちです。
いつの間にか人間が定めたしきたりが第一にされてしまい、ほんとうの意味や神さまのみこころが覆い隠されてしまう。
イエスさまは、彼らに対して「わざわいだ」と語られました。
このことばは、ギリシャ語では、「ああ!」という感嘆詞のようなことばで、とても感情のこもった表現です。
休まず礼拝に出席し、熱心に奉仕をしていても、それが習慣であったり、自己満足の道具になってしまっていたら、それこそ「わざわい」です。
頭や心が硬直化しないように、日々、新鮮な神さまの語りかけを聴きたいものです。
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