望みの預言
ゼカリヤ書9:12
「望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。」」
旧約聖書の預言書には、励まされることばがたくさんあります。
その理由の一つは、旧約聖書が書かれたときにはまだ実現していなかった事柄が、イエス・キリストの受肉によって真実であったことがわかった、ということを今の時代に生きる私たちが知っているからだと思います。
「希望」ということばは、考えてみれば、「望みが希(まれ)」と書き、いまだ確実でなく、目に見えないもの、というニュアンスがあるのではないでしょうか。
それが、神の子が人となることで、目で見ることができ、さわることができる形で実現された。
だから、今の時点で実現されてはいないことも確かに信じることができる。
それが預言書から励ましを受ける基盤ではないか、と今朝、聖書を読みながら感じました。
「望みを持つ捕らわれ人」
多かれ少なかれ、この世では誰もが重荷を負い、苦しみながら生きていると思います。
でも望みを持った捕らわれ人であるという自覚があるかないかでは大きく違うはずです。
とりで=神のふところに帰れ。
私たちには、帰るところがあるのですね。
- みじめで、哀れで、貧しい自分
- 自己イメージを書き換える